車の窓越しにつかみかかってきた相手を轢いてしまったが、正当防衛が認められ無罪となった事例
ここ数日、危険な運転行為の末に、相手を路上に停車させ暴行を加えたというニュースが世間を賑わせていますね。
県警によると、容疑者は10日午前6時15分ごろ、守谷市大柏の常磐自動車道上り線の守谷サービスエリア付近で、前方を走っていた男性会社員(24)=茨城県阿見町=運転の乗用車をあおった後、前方に割り込み無理やり停車させた上で降車。男性に対して「降りてこいや。殺すぞ」などと怒鳴りつけ、運転席の窓から拳で男性の顔面を複数回殴打し、顔などにけがを負わせた疑いがある。(※被疑者名は削除)
この事件のように、あおり運転など危険な運転行為の末に相手を路上に停車させる、というケースが報道されることが増えてきています。
2017年6月に東名高速で起きた痛ましい事故も記憶に新しいですね。
これらの事件のように、前方をふさがれるなどして車を停めさせられた場合、一般的には「ドアをロックして窓を閉めて警察に通報する」などの対処法が紹介されているところではあります。
しかし、開いている窓越しに相手がつかみかかってきた場合など、対処の余裕がない場合には車を発進させて逃げようとしてしまうかもしれません。
では、そのまま車を発進させた結果、相手方を転倒させたり轢いてしまったりした場合には、運転手は罪に問われるのでしょうか。
今回は、同様のケースで相手を轢いて死亡させてしまったものの、正当防衛が認められ無罪となったという事例(東京地裁立川支部2016年(平成28年)9月16日判決(判時2354・114))をご紹介します。
なお、この件は次のように報道されました。
判決によると、被告は2014年11月5日午後4時ごろ、町田市内の交差点で乗用車を運転中に大学生の男性(当時23)とトラブルになり、男性が被告の車内に手や顔を入れていたのに車を発進させ、後輪で頭などをひいて死なせた。
判決は、男性が激高していた状況を考慮すると、被告が防衛行為に出なければ殴られるなどの危険性があったと指摘。「車の発進、加速という行為以外の回避手段をとることは困難。やむを得ず身を守るために許される範囲内の行為だった」と述べた。(※被告人名は削除)
正当防衛が認められ無罪となった、という結論自体には賛同の声も多いかもしれませんが、私としては、このようなケースで正当防衛が認められるのは簡単ではないと考えています。
この事例を根拠に、ネット上では「相手が車につかみかかってきたら、相手を轢いてしまっても正当防衛」との言説もみられますが、安易にそれを信じてはなりません。
「相手が襲ってきたんだから、正当防衛が成立するのは当然ではないのか?」とお思いの方もいるでしょうが、そう単純な話ではないのです。
そこで、前提として一般的な法解釈について簡単に解説したうえで、この裁判例についてみていきます。
前提情報
この件を理解するために必要な情報として、以下の2点について概説します。
そもそもどんな罪に問われ得るのか
基本的には、相手が自動車につかみかかっているのに自動車を発進させる行為は、「相手を怪我させたり死なせたりする可能性がある危険な行為」と認定され、暴行罪、傷害罪や殺人未遂罪、相手が亡くなってしまうと傷害致死罪や殺人罪に問われます。
傷害(致死)か殺人(未遂)かは、相手がどれだけ危険な状況にあったか(そして運転手がそれを認識していたか)によって分かれます。
ざっくり概要を説明すると次のとおりです。
例えば、ドアや窓枠に手をかけている状態で発進させれば、「相手が怪我をする可能性があり、かつ運転手がそれを認識していた」ということで傷害(致死)罪となりやすく、相手がボンネットにしがみ付いている状態で高速で走行すれば、「相手が死ぬ可能性があり、かつ運転手がそれを認識していた」ということで殺人(未遂)罪となりやすい、といえます。
正当防衛とは
正当防衛についてはご存知の方も多いと思います。
刑法36条には次のとおり定められています。
刑法36条(正当防衛)
1 急迫不正の侵害に対して、自己又は他人の権利を防衛するため、やむを得ずにした行為は、罰しない。
2 防衛の程度を超えた行為は、情状により、その刑を減軽し、又は免除することができる。
1項によれば、「急迫不正の侵害に対して」「自己又は他人の権利を防衛するため」「やむを得ずにした行為」については無罪となります。
本件では、前二者はあまり問題とならず、「やむを得ずにした行為」といえるかという点(防衛行為の相当性)が争点となりました。
なお、この「やむを得ずに」とは、「防衛のために必要な限度で」と読み替えると分かりやすいかもしれません。
この限度を超えた場合は、過剰防衛(2項)として有罪となります。
本件の事実関係について
では、判決を元にしながら、まずは事実関係からみていきます。
当事者
被告人(絡まれた方の運転手):会社員、当時45歳の男性。助手席に7歳の娘を乗せて運転していた。車はパジェロ。
被害者(絡んできた方の運転手):当時23歳の男性。
時系列
2014年11月5日15時55分ころの話です。
町田市内の交差点で、被告人が信号待ちをしていたところ、横から来た被害者車両が、交差点を渡りきれずに被告人車両の前方をふさぐ形で停まった(下図)。
そのため、被告人側の信号が青になっても、前に進めない状況であった。
そこで、被告人はクラクションを鳴らし、被害者にバックするようジェスチャーをした。
被害者はすぐに車から降り、被告人をにらみつけるようにして、被告人の方に歩き出した。
そうしたところ、無人となった被害者車両が動き出した(ギアがドライブに入ったままだったのでしょうかね…)。
被害者はあわてて車に戻り止めようとしたが間に合わず、車はガードレールに衝突した。これに逆上した被害者は、叫びながら被告人車両に早足で向かった。
被告人は恐怖を感じ、車を発進させようとした。
被害者は、被告人車両の運転席窓付近まで迫り、「てめえ、待てこの野郎」と怒鳴った上、被告人車両の運転席に座っている被告人に対し、窓が全開であった運転席に向け、手拳を突き出すとともに、顔面を運転席内に入れるなどしながら、「ぶっ殺すぞ。」と怒声を発した。
被告人は、被害者から攻撃されることを防ぐため、被害者の腕及び顔面が被告人車両に入っていることを認識しながら、被告人車両をゆっくりと発進させた。
被告人車両が発進すると、被害者は、両手で被告人車両の窓枠部分をつかみ、約3メートルほど被告人車両と並走するように歩き、被告人に対し、再び「てめえ、ぶっ殺すぞ。」と怒号した。
そのため、被告人は、更なる恐怖を感じて被告人車両を加速させた。
被害者は、両足をばたつかせて並走したが、やがて被告人車両の速度についていけなくなった。
その後、被害者は両手を窓枠から離して転倒し、その頭部等を被告人車両右後輪に轢かれた。
その結果、被害者は死亡した。
正当防衛が成立するか
「被害者が窓枠をつかんで頭を入れている状態なのに自動車を発進させた」という暴行行為により被害者を死亡させた、ということで、被告人は傷害致死罪で起訴されました。
これに対し、被告人は、上記の行為は正当防衛だったと主張しました。
判決では、以下のとおり、
・被害者による侵害行為の内容
・被告人による防衛行為の内容
・他にとり得る手段があったか
について詳細に検討をし、結論として正当防衛の成立を認め、被告人を無罪としました。
被害者による侵害行為の内容について
判旨は以下のとおりです(重要部分に下線を付しました)。
被害者によって現実に行われた侵害行為は、被害者が被告人車両の運転席窓付近で「てめえ、待てこの野郎」と怒鳴り、さらに、被告人車両の運転席に座っている被告人に対し、「ぶっ殺すぞ」と怒鳴りながら、手拳を運転席に向けて突き出し、顔面を被告人車両の内部に入れるなどしたというものである。
いずれも運転席窓越しに行われたものであり、被告人が防衛行為に出る時点においては、身体に触れるような直接的な暴行には及んでいない。
しかしながら、被告人によるクラクション等に激高し、被害者車両の停止措置をとることもせず降車し、多数の自動車が存在した交差点内を徒歩で被告人車両に向かってきた上、被害者車両が損傷したことにより更に激高し怒声を発していた被害者の様子に照らすと、被告人が防衛行為に出なければ、被害者において運転席にいる被告人に直接的な殴打行為を行ったり、場合によっては被告人を運転席から引きずり出し、暴行を加えたりするなどの更なる侵害行為に出る危険性があったといえる。また、被告人が被告人車両を発進させた後、加速行為に出た時点についても、その直前に被害者は、被告人車両運転席の窓枠に両手でつかまり、被告人車両と並走しながら、被告人に向かい、「てめえ、ぶっ殺すぞ。」と怒号するなど、なおも旺盛な侵害の意思を示していたのであるから、この時点においても、被害者による侵害は終了しておらず、未だ、急迫不正の侵害が継続していたものというべきである。
もっとも、侵害にさらされた法益や侵害の強度についてみるに、本件証拠上、被害者は凶器を所持していなかったと認められることなどを考慮すると、予想される被害者の侵害行為は、未だ被告人の生命に対する直接的な危険性を及ぼすものではなかったとはいえる。しかし、常識に照らせば、凶器を使用しない暴行であっても、時として重大な結果を生ずることもあり得るから、「せいぜい負うとしても、軽傷の部類」に過ぎないとの検察官の主張をそのまま採用することはできない。(※筆者において適宜、改行・下線を付しました)
被告人による防衛行為の内容について
判旨は以下のとおりです(重要部分に下線を付しました)。
これに対し、被告人の防衛行為は、その場から逃げるため、被告人車両をまずゆっくりと発進させ、その後、被害者が並走できない程度の速度まで加速して進行したというものである。
被告人車両は前記認定のとおり、地面から車底部までの高さが41センチメートル、タイヤの直径が81センチメートルという性状を有しており、本件のように、被害者が腕や顔面を被告人車両内部に入れていたり、運転席窓枠につかまったりしている状態で同車両を発進ないし走行させれば、転倒やれき過によって被害者の身体のみならず生命を侵害しかねない危険なものであったというべきであり、特に加速行為は、生命に対する相当の危険性があったといえる。
そして本件では、現にその危険が現実化し、被害者の生命が失われている。この点で、防衛行為の強度や危険性に関する検察官の主張には一理あるといえる。しかし、被告人車両は、最初はゆっくりと発進し、その数秒後加速しており、被害者において、もともと車内に手を入れるなどしないことはもとより、その後も被告人車両から手を離すなどの行動に出ていれば死亡結果は回避可能であった。
そして、被害者においてこうした危険を回避する行動に出ることに大きな困難があったものとも認められない。
なお、前記の被告人車両の性状については、その外観上明らかなのであるから、被害者としても、これを認識して、危険を回避するため、適宜、適切な行動に出ることが期待できたものといえる。加えて、被告人供述によれば、当時の被告人の内心は、その場を離れ、自分と7歳の娘の安全を確保したいとの一心であったというのであり、これは本件状況を考えるともっともであるといえる。
被告人の前記発進、加速行為は、主として逃走の意思に出たものであったというべきであり、被害者に積極的に危害を加える意図があったものとは認められない。これらの事情を考慮すれば、被告人による防衛行為の態様、強度についても、極めて高度のものであったとは言い難い。(※筆者において適宜、改行・下線を付しました)
他にとり得る手段があったかについて
判旨は以下のとおりです(重要部分に下線を付しました)。
次に、当時の被告人の置かれた状況において、他に取り得る手段があったか否かについて検討すると、検察官は、運転席窓を閉めたり、車両にあった道具等を用いて反撃することや走行途中で停止したり速度を落としたりすることも可能かつ容易であったという。
検察官がいう前提事実(4)記載の道具等を用いて反撃することはおよそ現実的とはいえないが、被告人において、被告人車両の運転席窓を閉め、運転席ドアをロックするなどして、被害者の侵害を防ぎつつ、警察や周囲の救援を求めることができたとは考えられる。しかしながら、被告人は、被害者が被害者車両の損傷によって怒りを増幅させてから被告人車両に到達するまでの間、歩行距離にして数メートル、時間にして数秒という時間的余裕しかないという、極めて切迫した状況に置かれている。
この点、被告人は、被害者が極度の興奮状態にあることを認識するとともに、被害者がその怒りを被害者車両の損傷によって更に増幅させ、自分に向けていると考え、被害者に恐怖し、自分と助手席に乗せていた7歳の娘を守るため、とっさに被告人車両を発進、加速させて逃走することしか考えられなかったというのである。
発進、加速後も停止したり、速度を落としたりすれば、発進したことにさらに逆上した被害者に何をされるか分からないという状況にもある。
このような心境は、常識に照らし、十分に理解でき、本件状況に置かれれば、通常人であったとしても、現実的には、被告人車両の発進、加速という行為に出る以外の選択肢を取ることは相当に困難であったというべきである。
このような切迫した状況下で、逃げることなく、被害者に対抗したり、窓を閉めて他に救援を求めたりする決断をすることや、発進後も停止や減速したりすることを被告人に要求するのは酷といわなければならない。そして、その他の検察官の主張を十分に考慮しても、本件当時の被告人の置かれた状況において、通常人が他により適切な対抗策を容易に取り得たものとも認められない。(※筆者において適宜、改行・下線を付しました)
結論
判旨は以下のとおりです。
以上のとおり、被告人の防衛行為は被害者の侵害行為に比して、生命に対する危険性を有するという点で、一般的に危険性が高いというべきではあるものの、被害者の行動や事の成り行き等によっては、その危険性はかなり低減するものであって、本件被告人の行動が緊急状況下において被害者による侵害行為を回避するための逃走のためのものであり、被害者に対する加害の意思は認められない上、被告人にとってはもとより、通常人にとっても、これ以外に侵害回避の手段を取ることは困難であったというべきである。
そうすると、被告人の行為の危険が現実化し、被害者が死亡するに至っていることを十分に考慮しても、本件防衛行為は、常識に照らし、被害者の侵害からやむを得ず身を守るためにしたものとして許される範囲内の行為であって、相当性を欠くとはいえない。
したがって、被告人には正当防衛が成立する。(※筆者において適宜、改行を付しました)
要するに、
- 被害者の行為(侵害行為)に比べて、窓に手をかけられているのに車を発進させたという被告人の行為(防衛行為)の危険性は高いものの、被害者がその危険を避けることはできたし、被告人に加害意思があったわけではない
- この状況で、車を発進させること以外に侵害を回避する手段をとることは困難だった
という2点から、被告人の行為が防衛行為として相当なものであるとして、正当防衛が成立するとされました。
注意点
結論部分を繰り返しますと、正当防衛が認められた理由は、
- 被害者の行為(侵害行為)に比べて、窓に手をかけられているのに車を発進させたという被告人の行為(防衛行為)の危険性は高いものの、被害者がその危険を避けることはできたし、被告人に加害意思があったわけではない
- この状況で、車を発進させること以外に侵害を回避する手段をとることは困難だった
という2点です。
あえて太字にしましたが、「被害者が窓枠をつかんで頭を入れている状態なのに自動車を発進させた」という行為は、通常、生命に対する危険を伴うような行為であると判断されている点に注意が必要です。
前述のとおり、場合によっては殺人未遂に問われるような行為です。
防衛行為の相当性の判断について
前述のとおり、正当防衛は、防衛行為が「やむを得ずにした行為」であった(防衛行為が相当なものであった)といえなければなりません。
自分が襲われた場合にはどんな反撃をしても許されるわけではなく、あくまで必要最小限度でなければ、防衛行為は相当なものとは認められません。
限度を超えた場合には過剰防衛となり、無罪にはなりません。
例えば、素手で殴りかかってきた相手に対して拳銃で応戦する行為は、明らかに必要最小限度を超えているといえるでしょう。
自分が受けそうな被害はあくまで「殴られる」という傷害であるのに対し、相手に与えそうな被害は「銃で撃たれる」という生命にかかわる傷害であるからです。
防衛行為が相当かどうかは、このように「受けそうな被害」と「与えそうな被害」のバランスが取れているか、を中心に判断されます。
そして、詳細は省きますが、現実の裁判例ではこの相当性の判断は(一般に思われるよりも)シビアです。
そう簡単には認められません。
本件のようなケースでは
ここで、本件のような事例を考えるとどうでしょうか。
一般的に、相手が車につかみかかっているのに車を発進させる行為は、生命に危険を及ぼしかねない危険な行為とされています。
他方、相手は素手で自分を殴ろうとしてきた、というような場合であれば、先ほどの「殴ってきた vs. 拳銃で応戦」のように、「受けそうな被害」と「与えそうな被害」のバランスが取れず、防衛行為の相当性は認められない(正当防衛は成立せず過剰防衛となる)とも考えられます。
実際に、本件でも検察官はそのように主張していますし、おそらく実際の裁判では「単に相手が殴ろうとしてきた」というだけでは正当防衛が認められないのが通常でしょう。
もっとも、前記で長いこと判決を引用したように、本件では前後の事情が詳細に認定され、検討されています。
そのうえで、あくまで本件の事情のもとでは正当防衛を認める、という判断に至ったわけです。
結論
結局何が言いたいかといいますと、「相手が車につかみかかってきたら、相手を轢いてしまっても正当防衛」と安易に考えるのは間違いだ、ということです。
不正確なネット情報はうのみにしないようにしましょう。