タワマン節税訴訟、最高裁判決について 通達6項の適用基準は不明確なまま?
不動産の路線価などと実勢価額の差を利用した相続税の節税対策の是非が争われた件について、4月19日、最高裁の判決が言い渡されました。
結論は納税者(相続人)側の敗訴。
本件では評価通達による路線価などではなく鑑定による実勢価額をベースに課税するという1審・2審の結論を最高裁も認めました。
(判決文はこちら)
前々回と前回の記事でこの問題の背景などを紹介したので、今回は最高裁判決の内容について解説します。
※タイトルに「タワマン節税訴訟」と書きましたが、本件の事案はタワーマンションではありません。
目次
概要
まず、大きな枠組みとしては本件の2審判決や従来の裁判例と同じです。
相続税法22条の「時価」の解釈として、公平の観点からは原則として財産評価基本通達(以下「評価通達」といいます。)の評価によるべきだが、例外的に、それだと実質的な公平に反するような事情がある場合には鑑定評価によること(≒実勢価額での課税)も許される、という内容になっています。
もっとも、いかなる場合に例外となる事情があるといえるのかについては、具体的な基準を示していません。
この点で、評価基準をどうするか(通達評価によるか実勢価額によるか)について実質的には国税当局の裁量を認めたものといえるでしょう。
以下、判決文に沿って詳しく見ていきます。
※なお、事案の概要は前回の記事にまとめてありますのでご参照ください。
相続税法22条の「時価」と評価通達
判決では、本件の事実関係の概要などに続き、まず相続税法22条の「時価」と評価通達の関係について次のとおり述べています(後記で要約します)。
相続税法22条は、相続等により取得した財産の価額を当該財産の取得の時における時価によるとするが、ここにいう時価とは当該財産の客観的な交換価値をいうものと解される。そして、評価通達は、上記の意味における時価の評価方法を定めたものであるが、上級行政機関が下級行政機関の職務権限の行使を指揮するために発した通達にすぎず、これが国民に対し直接の法的効力を有するというべき根拠は見当たらない。そうすると、相続税の課税価格に算入される財産の価額は、当該財産の取得の時における客観的な交換価値としての時価を上回らない限り、同条に違反するものではなく、このことは、当該価額が評価通達の定める方法により評価した価額を上回るか否かによって左右されないというべきである。
そうであるところ、本件各更正処分に係る課税価格に算入された本件各鑑定評価額は、本件各不動産の客観的な交換価値としての時価であると認められるというのであるから、これが本件各通達評価額を上回るからといって、相続税法22条に違反するものということはできない。
前々回の記事で説明したとおり、本件(を含む評価通達6項関係の訴訟)において問題となっているのは、通達6項の解釈の問題ではなく、あくまで相続税法22条の「時価」の解釈である(ただし、議論の中身と結論は実質的に同じですが)ことに注意。
※相続税法22条(評価の原則)
この章で特別の定めのあるものを除くほか、相続、遺贈又は贈与により取得した財産の価額は、当該財産の取得の時における時価により、当該財産の価額から控除すべき債務の金額は、その時の現況による。
上記引用部分を簡単にいうと、
- 相続税法22条の「時価」とは「客観的な交換価値」をいう。
- その評価方法として評価通達が定められているが、あくまで通達であるので国民に対する法的効力はない。
- したがって、相続税の計算に際して使われた評価額が、評価通達による評価額を上回る評価額であっても(相続時の客観的な交換価値を超えない限り)相続税法22条には違反しない。
ということになります。
そのうえで、本件では使用された鑑定評価額が客観的な交換価値としての時価であると認められるから、相続税法22条には違反しないとしました。
平等原則
相続税法22条の話は以上で終わり、次は平等原則(※)の話です。判決ではここからがメインとなります。
※租税公平主義ともいい、租税法律主義と並ぶ租税法の基本原則。立法の場面における平等と執行(適用)の場面における平等が要請される。今回は後者の問題。
まず、判断基準として次のとおり述べています(後記で要約します)。
他方、租税法上の一般原則としての平等原則は、租税法の適用に関し、同様の状況にあるものは同様に取り扱われることを要求するものと解される。
そして、評価通達は相続財産の価額の評価の一般的な方法を定めたものであり、課税庁がこれに従って画一的に評価を行っていることは公知の事実であるから、課税庁が、特定の者の相続財産の価額についてのみ評価通達の定める方法により評価した価額を上回る価額によるものとすることは、たとえ当該価額が客観的な交換価値としての時価を上回らないとしても、合理的な理由がない限り、上記の平等原則に違反するものとして違法というべきである。
もっとも、上記に述べたところに照らせば、相続税の課税価格に算入される財産の価額について、評価通達の定める方法による画一的な評価を行うことが実質的な租税負担の公平に反するというべき事情がある場合には、合理的な理由があると認められるから、当該財産の価額を評価通達の定める方法により評価した価額を上回る価額によるものとすることが上記の平等原則に違反するものではないと解するのが相当である。(※筆者にて改行を追加)
これを簡単にいうと、
- 原則として評価通達による評価をしなければならず、合理的な理由なくこれに反した場合は平等原則違反として違法となる。
- ただし例外的に「評価通達の定める方法による画一的な評価を行うことが実質的な租税負担の公平に反するというべき事情」がある場合には、合理的な理由があるといえるから、評価額を上回る価額をベースに課税しても平等原則違反とはならない(つまり実勢価額ベースで課税しても違法とはならない)。
ということになります。上記の「評価通達の~事情」を以下単に「事情」と略して説明します。
この「事情」の部分について、通達6項に関する多くの裁判例では「特別の事情」という表現が使われていますが(※)本判決であえて異なる表現を使った理由は正直よく分かりません。
※「(評価通達の)評価方法を画一的に適用するという形式的平等を貫くことによって、かえって実質的な租税負担の公平を著しく害することが明らかな場合など、上記評価方法によらないことが正当と是認される特別の事情」(大阪高裁2005年5月31日判決ほか多数)。なお、前回の記事で述べたとおり本件の2審判決では少し踏み込んだ表現となっています。
いずれにせよ、上記の判示部分の内容については従来の裁判例と実質的に同じといえます。結局のところ基準として示されたのは「実質的な租税負担の公平」という抽象的なものにとどまっており、この点は予測可能性の点で問題があると私は考えています。
本件へのあてはめ
続いて本件へのあてはめ部分について。
これを本件各不動産についてみると、本件各通達評価額と本件各鑑定評価額との間には大きなかい離があるということができるものの、このことをもって上記事情があるということはできない。
もっとも、本件購入・借入れが行われなければ本件相続に係る課税価格の合計額は6億円を超えるものであったにもかかわらず、これが行われたことにより、本件各不動産の価額を評価通達の定める方法により評価すると、課税価格の合計額は2826万1000円にとどまり、基礎控除の結果、相続税の総額が0円になるというのであるから、上告人ら(※相続人ら)の相続税の負担は著しく軽減されることになるというべきである。
そして、被相続人及び上告人らは、本件購入・借入れが近い将来発生することが予想される被相続人からの相続において上告人らの相続税の負担を減じ又は免れさせるものであることを知り、かつ、これを期待して、あえて本件購入・借入れを企画して実行したというのであるから、租税負担の軽減をも意図してこれを行ったものといえる。
そうすると、本件各不動産の価額について評価通達の定める方法による画一的な評価を行うことは、本件購入・借入れのような行為をせず、又はすることのできない他の納税者と上告人らとの間に看過し難い不均衡を生じさせ、実質的な租税負担の公平に反するというべきであるから、上記事情があるものということができる。したがって、本件各不動産の価額を評価通達の定める方法により評価した価額を上回る価額によるものとすることが上記の平等原則に違反するということはできない。(※筆者にて改行・下線を追加)
まず、最初の下線部分について。
過去の裁判例における「特別の事情」の判断では、通達評価額と実勢価額との乖離はほぼ必須の要素として考慮されている(むしろ、少なくとも表向きはこの乖離が最も重要な要素であるかのように読める)ため、私としては本件の判決のこの部分は意外でした。
ただ、現実問題として、乖離があること自体は問題ない(評価通達自体には問題があるわけではない)というメッセージは出しておく必要があったのかもしれません。乖離自体に問題があるとなってしまえば、評価通達を前提とした課税実務全体が揺らぎかねないので。
次に、2番目・3番目の下線部分についてですが、要するに本件で決定的だったのは、相続税の負担を著しく軽減させることになる点と、租税負担の軽減をも意図して一連の購入・借入れを行った点であったといえます。なお、あえて「も」が入っていることから、仮に租税負担の軽減が副次的な目的であったとしても前記「事情」に該当しうる点に注意が必要かもしれません。
コメント
以上を踏まえ、いくつかコメントを。
基準は不明確なまま
最高裁の判決に期待はしましたが、結局、実勢価額評価としてもよい場合の基準(=通達6項の適用基準)は、「実質的な租税負担の公平」というあいまいなものとされました。
ただ、あいまいながらも判決文から読み取れる事情を以下考察してみます。
租税負担軽減目的を重視
前記のとおり、判決では、実勢価額と通達評価額との乖離があることをもって前記「事情」に該当するわけではないと述べました。
そのうえで、相続税の負担を著しく軽減させることになる点と、租税負担の軽減をも意図して一連の購入・借入れを行った点を、前記「事情」に該当する理由として挙げてしています。したがって、判決では租税負担を(著しく)軽減させる意図・目的を重視したといえるでしょう。
つまり正面から租税回避行為の否認のための解釈を認めたものといえます。
借入れがなければ対象外?
「本件購入・借入れ」と両者を併せて述べていることや、価額の乖離自体は問題ないとしつつ前記「事情」に該当する理由として「相続税の負担は著しく軽減されることになる」点を挙げていることからすると、おそらくですが借入れをせずに購入した場合には前記「事情」に当たらないのではないかと思われます。
価額の乖離自体には問題がないとすればそれによる相続税額の乖離も認めざるをえないですし、本件で税額が極端に少なくなったのは借入れが大きな理由であるといえる(ローンの残債額が不動産の評価額を大きく超えたため、他の財産の額からも控除された(※))からです。
ただ、結局は総合判断になるので明確にはいえないところですが。
※国税側の主張では不動産が約12億円・その他の財産が約7億円・債務等が約10億円で差引約9億円。これに対し相続人らの主張では不動産が約3.3億円(ほかは同じ)なので、債務額を控除した差引額は0.3憶円となった。
租税負担軽減目的は副次的でも対象?
また、前述のとおり「租税負担の軽減をも意図してこれを行った」の部分の「も」にも注目です。
いうまでもなくこれは、仮に主目的が別であったとしても、租税負担軽減目的が含まれていたら前記「事情」に該当しうる(実勢価額で評価)ということになります。
もっとも、通常は何をするにしても租税負担の軽減という点は必ず考えるものですから、租税負担軽減という目的自体が大きな要素とはいえないでしょう。前記「事情」に該当するのはあくまで前述のような「著しい」軽減を意図していた場合に限られるのではないかと思います。
亡くなるどれくらい前の購入が対象?
今回の事案では90~91歳で購入し94歳で亡くなっています(亡くなる約3年前に購入)が、では、一般論として亡くなるどれくらい前に購入したら前記「事情」に該当するのという点についても問題となりますが、やはり総合判断となるのでこの点も明確ではありません。
判決文では「近い将来」という文言は出てきますが、当然ながら明確な基準を設定することは不可能でしょう。
ただ、強いて一つの目安を挙げるとすれば、前回の記事で紹介した租税特別措置法の旧69条の4(1988年~1995年)の「相続の開始前3年以内」が参考になるかもしれません。
※バブル期に本件のような節税策が流行したことに対応するため1988年に法律が改正され、相続開始前3年以内に購入した不動産(自らの居住用は除く)については通達評価額ではなく購入価額で課税するという特例が定められました(その後バブル崩壊に伴い不動産価格が急落したため1995年に廃止)。
もちろん、購入時点ではいつ亡くなるか予測することは困難ですので、時期の点はあくまで総合判断の一材料に過ぎませんが。
相続後に売却したことは影響があるか?
なお、本件では相続人が相続から約9か月後に相続した不動産の一部を売却していますが、この点は何らかの影響があるのでしょうか。
確かに前記「事情」に該当するかどうかの判断においてはこの点は一切触れられておりません。
※1審・2審判決も同じ。国税側の鑑定価額と実際の売却価額が近いことから国税側が採用した鑑定評価は信用できる、という点で触れられたのみ。
もっとも、前記のとおり本判決では租税負担軽減目的が重視されている点には注意が必要です。普通に考えれば、租税負担軽減目的があったかどうかという事実認定の過程で、もし相続直後に売却したという事情があればそれは目的を認定するうえで大きな要素となると考えられるからです。
私としては、本件で特に売却の事実に触れられていなかったのは、銀行の稟議書の記載を始め他の事情から租税負担軽減目的が十分に立証されていたため売却の経緯を深堀りする必要がないと判断されたためではないかと考えています。
一般論として、相続開始後に売却したことは結論に影響しないとはいえないでしょう。
結論
以上、本判決を分析してみましたが、結局のところ、前記「事情」の判断基準、すなわち評価通達によらず実勢価額評価としてもよい場合の基準(=評価通達6項の適用基準)は不明確さが残るままです。
確かに本件の事例に関していえば結論としては妥当といえるかもしれませんが、結局上記の基準の不明確さが残ったままであるという点は、納税者側の予測可能性という点からは問題があるといえます。
また、前回の記事でも触れましたが、評価通達6項の適用を通す形で、実質的には国税側が法律の規定によらずして租税回避行為の否認(本件では評価通達の適用の否定)を行うことができてしまうわけですから、租税法律主義の観点からも問題があると考えています。対策が必要なのは当然であるとしても、これは立法により解決すべき事項でしょう。
※邪推かもしれませんが、評価通達は通達に過ぎないから法規効力はないという点を判決の中でわざわざ述べているのは、租税法律主義違反という批判をかわすためではないかと推測しています。