ハンコ(押印)の法的効力(4/4・最終回) ハンコはなくならない? ただし不要なハンコはなくすべし
このシリーズの第1回から第3回では、契約書の意味、(契約書への)署名や押印の意味、紙の契約書に代わる方法について見てきました。
では、この先ハンコ(押印文化)はなくなるのでしょうか。
あるいは減らすことはできるのでしょうか。
「ハンコ(押印)の法的な意味」のシリーズは今回が最終回です。
第1回:なぜ人はハンコを押すのか
第3回:ハンコに代わる契約方法
第4回(今回):ハンコはなくならない? ただし不要なハンコはなくすべし
(番外編1):印鑑の種類(認印・実印・角印・丸印・ゴム印(シャチハタ))について
(番外編2):割印・消印・契印の違いと、それぞれの押し方について
目次
本当にハンコはなくなるのか
もはやハンコは必要ない?
ここで今までの説明をまとめてみますと、
- 契約書は別になくてもよく、もちろん署名や押印も必須のものではない
- ただ、署名や押印がされた契約書があると、裁判で有利になる
- しかし、有利といってもそれほどでもない
- 今ではITによる代替手段もある
ということになります。
これを考えると、もはやハンコが必要である理由はなさそうです。
契約に際して「紙の契約書に署名や押印する」という慣習はなくなっても良いように思えますね。
では、本当にこの慣習はなくなるのでしょうか。
それでもハンコはなくならない?
これは全くの想像ですが、やはり当分の間はなくならないような気がします。
なぜなら、長年続いた慣習にはそれなりの実績があるからです。
長年の間、「書類にサインしてハンコを押す」という方式で、契約の実務は回っていました。
この慣習のもとで様々なトラブル事例が積み重なり、また裁判例も蓄積されていきました。
その結果、「将来紛争になった場合にどうなるか」ということが(法律の専門家でなくとも)ある程度予測できるようになっています。
つまり、予測可能性があるのです。
予測可能性がないことによる不安
この予測可能性は、取引を安全かつ円滑に進めるためには重要です。
これから行う契約が将来どうなるか分からないのでは、安心して取引を進めることはできません。
ところが、新しい手法には積み重ねがないため予測可能性がありません。
そのため、従来の慣習であれば感覚的にでも(法的な観点から適切かどうかは別にして)「シャチハタ以外のハンコが押してあれば契約書は大丈夫だろう」と考えて取引を進めることができましたが、例えば「このPDFの内容で進めるという合意はできているし、既にメールでのやり取りがある程度残っているから大丈夫だろう」として取引を進めるのはどうでしょうか。
法律や裁判に詳しくなければ、自信をもって判断するのは難しいでしょう。
また、何かあった際に「なぜそれで大丈夫と判断したのか」を関係者に説明するのも困難です。
こうしたことから、特に紙の契約書によることのデメリットがないのであれば、あえて別の手段をとることで未知のリスクを負おうとは考えないでしょう。
※この点は、私たち弁護士にとっても同じです。
確かに、実際の案件で「紙の契約書はないが、前後のやり取りなどで何とか契約を立証できますか?」と質問されれば「それで大丈夫です」と答えることはよくありますし、結果として立証できることも多くあります。
しかし、では仮に「今から契約しようと思うが、PDFとメールのやり取りだけでよいか?」と質問されればどうか。
やはり「不都合がなければ、署名と押印をしてもらった方が良い」と答えるでしょう。
自分自身の個人的な契約ならばともかく、依頼者を未知のリスクにさらすことはできませんから、どうしても保守的な方法をとってしまうと思います。
代替手段のメリットが見えにくい、ハードルが高い
また、ハンコが当分の間はなくならないと考えられるもう一つの理由として、代替手段のメリットが見えにくいということが挙げられます。
いくら「新しい手法を」といったところで、現に契約実務はハンコで問題なく回っているわけです。
確かにITによる代替手段が便利なのは分かりますが、今のところ利点は「担当者が出社しなくても契約手続が可能」という程度。
現実に今のハンコで特に不都合はない以上、あえて新しい手法に乗り換えるほどのメリットは見えにくいのが現状です。
また、代替手段がどれだけ普及するかも不透明です。
代替手段による場合、契約当事者双方がその方法によることに合意していなければなりません。
自社だけが「ハンコを撤廃しました」と言っても、相手に「ハンコでお願いします」と言われてしまえばそれまでです。
さらにハードルの高さも問題です。
現実に多くの中小企業ではいまだにFAXが使われていますから、ITに疎い企業も多いだろうというのは想像できます。
「印刷された紙がないと安心できない」意識を転換させるためにはもう少し時間がかかるように思います。
※ハードルの高さについて加えると、現行の電子署名のハードルが高すぎるというのもあります。
電子署名法において典型的に想定されているのはいわゆる「当事者型」(※前回の記事を参照)であり、これは、決裁権者によるICカードなどの厳重な管理を前提としています。
現在の慣習でいえば実印に相当するほど厳格なもの(いわば実印をIT化したもの)ですから、そのハードルの高さから、日常の契約で多用されるようになるかは正直疑問です。
なお、いわゆる「立会人型」の場合であっても、立会人となる業者による厳格な本人確認(直接面談での身分証確認など)が行われることを前提としていますので(いわば公正証書をIT化したもの)、ハードルの高さは同様でしょう。
慣習の変化には時間がかかりそう
以上の点から、代替手段への変化には時間がかかると思われ、しばらくの間ハンコは残り続けると想像しています。
新たな慣習を根付かせるために
では、ハンコに代わる新たな慣習を根付かせるためにはどうしたらよいでしょうか。
上記で見たとおり、代替手段の普及の大きな障害となっているのは、予測可能性がないことと、代替手段のメリットが見えにくいことの2点であるといえそうです。
このうち予測可能性については、現状での裁判例や学説などをもとにした指針(ガイドライン)のようなものを公的に作成・周知することが有効です。
以前の記事(「押印についてのQ&A」(内閣府・法務省・経産省)を分かりやすく解説)でも紹介したように、政府の見解が公表されたのは大きな前進だとは思いますが、もっと分かりやすいものにする必要はありますね。
代替手段のメリットが見えにくいという点については、「卵が先か鶏が先か」にはなってしまいますが、まずはある程度普及させることが必要でしょう。
普及しないことにはメリットが伝わりませんから、国の政策として、まずは役所や大企業から代替手段への移行を進めていく必要があります。
コロナ禍により在宅勤務などリモート勤務の必要性が高まっている今こそ、まさにこのような政策を推し進めるタイミングだといえます。
まずは変われるところから。不要なハンコはなくすべき
上記のとおり、新たな慣習が根付くためには時間がかかるため、しばらくはハンコはなくならないと思います。
しかし一方で、現在でも「不要なハンコ」は多く見られます。
何となく押して(押させて)はいるが、冷静に考えてみると何のために押して(押させて)いるのかよく分からないハンコです。
これらについては、今からでもなくすことはできるのではないでしょうか。
不要なハンコは多い
私たちは日常的に、さまざまな文書にハンコを押すことがあります。
役所への申請書や届出書、会社内での稟議書、子どもの学校との連絡文書、宅配便の受領書など…
しかし、これらのハンコは本当に必要なのでしょうか。
改めて考えてみると、何のために押しているのかよく分からないものもあります。
例えば、宅配便の受領書への押印。
これは何のために押して(押させて)いるのでしょうか。
もちろん、受領書ですから本来は「荷物を受け取ったことを証明するため」ということになります。
しかし、現実には多くの場合、シャチハタなどのゴム印でもOKとされています。
では、万一、後になって受け取った/受け取っていないというトラブルが起きた際、宅配業者は、ゴム印が押された受領書によって「御社の●●さんという方が確かに受け取った証拠があります」と言えるのでしょうか。
当然ながらそんな主張は通りませんね。
このように、ゴム印でもOKというのであれば証拠としての価値はないため、もはや押印させること自体の意味がないのです(もちろん、後の調査のために受け取った人の名前を業者の方で控えておくため、という意味はありますが、それは証拠価値とは別の話です)。
では、なぜ「ゴム印でもOK」のような(証拠としては意味のない)扱いをしているのか。
もちろんそれは利便性のためですよね。
つまり、大げさな言い方をすれば「利便性のために安全性を犠牲にするという判断をした」ということになります(決して宅配業者に対して悪い意味で言っているのではありません。コストとの兼ね合いでやむを得ないでしょうし、送り主としても、厳格な本人確認は行われないことを前提に利用しているはずです)。
そうであれば、もはやここでの押印は必要ないはずです(宅配員が口頭で名前を尋ねることくらいで十分でしょう)。
「認印でOK」なものは全部廃止できるはず
同じことは、ゴム印のみならず認印全般についていえます。
役所の申請用紙などには「ゴム印は不可」と書いてることが多いですが、一方で実印である必要はなく、認印で可とされているものがほとんどです。
つまり、ゴム印でさえなければ、百均で売ってるプラスチック製の三文判でもOKなわけです。
しかし、認印であっても結局はゴム印と同じくその印鑑が本人のものだと立証する方法はないわけですから、押印自体の証拠価値はありません。
つまり、ここでも同様に「利便性のために安全性を犠牲にするという判断をした」わけです。
そうであれば、認印の場合でもやはり押印させる必要はないはずです。
※なお、署名の場合には、三文判と比べて証拠価値は高いといえそうです。
ただし、第2回で説明したように裁判例上は確実なものとは扱われていません。
認印はなくす方向で
ということで、現状「認印でOK」とされているものについては、全てなくしてよいのではないでしょうか。
確かに、稟議書などでハンコが並んでいれば、誰がこの文書を確認したか(正確にいえば「書面上は確認したことになっている」ですが)が一目で分かりやすい、という意味はあるでしょうが、逆にいえば利点はそのくらいです。
分かりやすくする方法はほかにいくらでもあるでしょう。
実印(および印鑑登録証明書)を要求するほどの厳格な手続を行わないのであれば、認印を押させたところで、それだけではなりすましや偽造などのリスクは排除できません。
ハンコに頼って安心するのではなく、他の方法での本人確認にシフトしていくべきでしょう(現に、一部の銀行や証券会社では、口座開設の際の押印を不要としています)。
役所への申請や届出についても、ようやくその動きが出てきたところです。
行政手続き上の押印 「認め印」はすべて廃止の見通し | 菅内閣 | NHKニュース(2020年11月13日)
まずは変われるところから
以上述べたように、ハンコ(押印)はすぐにはなくならないと思われますが、ハンコを押す(押させる)意味を改めて考えてみると、不要なハンコは多いといえます。
全てを変えるのには時間がかかりますが、まずは身近な所でハンコの必要性を見直し、変われるとこから変えていく必要があります。