GPS捜査 最高裁判決を読んで 補足:プライバシー権とは

話題となっていたGPS捜査ですが、最高裁でついに、GPS捜査を行うには令状が必要との判断が示されました。
また、どのような令状が必要になるのかについては、現行法上の検証許可状では原則として不可能であり、新たな立法により対処すべきだとしました。
なお、被告人が有罪であるとの結論自体はそのまま認められ、形式的には上告は「棄却」となりました。
(判決全文はこちら)

何が「予想外」だったか

判決が注目を集めたのは、やはりこの判断を予想外だと思う人が多かったからではないでしょうか。

前回お伝えしましたように、仮に令状なく行われたGPS捜査が違法だったとしても、それが「重大な違法」でない限り違法捜査よって得られた証拠は排除されません。
そして、そのハードルはかなり高いものですので、この裁判で仮にGPS捜査が違法だったとされても証拠が排除されることにはならないだろうと予想できました。
そのため、有罪が維持されるという結論(上告棄却)自体は、多くの関係者も予想していたものと思います。

しかし、GPS捜査自体に令状が必要(=令状が無ければ違法)という判断がされたのはかなり意外です。
さまざまな捜査手法に対する今までの判例の傾向からすると、捜査の必要性もかなり重視されているため、「原則として令状によることが望ましい。ただし、事案の重大性や緊急性・必要性の高さによっては無令状で行うことも違法とはいえない。このことを前提として今回の具体的な状況をもとに捜査手法が適法・違法だったかを判断する」というような内容の判断がされると考えていたからです。

また、新たな立法措置(法律の整備)が望ましいと述べたことも例外的として注目されました。
三権分立の建前上、裁判所はあくまで法律を解釈する機関であって、法律を作る立法府に対して口出しをする立場にないからです。

さらに、以上の判断が全員一致で下されたことも意外でした。
判断を下した15人の裁判官の中には検事出身の裁判官が2名いましたが、反対意見は出ていません。

これらの点から、捜査関係者のみならず弁護士の私にとっても意外な判決でした。新聞がこれだけ大きく報じているのも、関係者の間に上記のような予測があったからだと思います。
(ただ弁護士としては、最高裁がこのような判断を下したことが意外だと思っているのであって、判断の内容は全くそのとおりだと考えています。)

プライバシーについて

今回の最高裁の判断に対しては、当然「犯人を捕まえにくくなってしまうではないか」「犯人のプライバシー(人権)よりも被害者の人権を考えるべき」「位置情報くらい問題ないのではないか」という意見もあるかと思います。
では極端な話、治安が良くなるためにみんなの24時間の位置情報を国に管理される、となったらどうでしょうか。

これに対しても、そもそもプライバシー自体について「自分は人に知られて困るようなやましいことはしていないので、治安が良くなるためなら、仮に自分が国(捜査機関)に位置情報を取られてしまっても、そのくらいなら仕方がないと思う」という考えもあるかと思います。
しかし、これはプライバシー権が失われることを軽く考えすぎていると思います。知り合いなどにも知られてしまうのであればともかく、国が取得する分にはそんなに大きな問題ではないだろう、といえるでしょうか。

そもそもプライバシー権の保障がなぜ必要なのかについて話をすると非常に長くなってしまいますので、ざっくりご説明します(あくまで私の考えです)。

人は誰でも、自分の情報について「人に伝えても良い情報」と「人に伝えたくない情報」を持っています。
それを、相手や場面などによって伝えるか伝えないかをコントロールしています。
これはその情報が悪い(やましい)ことでなくても変わりありません。「休日は何をしているのか」のように一見どうでもよさそうな、しかも特にやましいわけでもない情報でも、相手や場面によっては話したくないと思うことはないでしょうか。
トイレの中の様子だって、全く悪いことをしているわけではありませんが、普通は人に見せたくないと思うはずです。

このように、私たちは普段、相手や場面に応じて自分の情報を伝えるか伝えないかをコントロールしています。
プライバシー権とは、この自分の情報をコントロールする権利なのです。
つまり、プライバシー権が失われるということは、このコントロールを自分でできなくなることを意味します

自分の情報を全て他人に管理されていて、自分でコントロールすることができないのであれば、自律した人格といえるでしょうか。
プライバシー権が人間の尊厳にかかわる権利だといわれるのはそのためです。

そして、国によってプライバシー権が侵害されるということは、自分の情報のコントロールを国にゆだねるということになります。
この状況で、国を相手に戦うことができるでしょうか。
民主主義によって政治のあり方を決定するということは、時として国民が国(現在の政府)と戦うことになるわけですが、自分の情報がすべて国に管理されていれば戦う意欲をなくす人も出てくるでしょう。
これでは民主主義が機能しなくなる可能性が出てきます。

以上は極論ですが、一度国によるプライバシー権の侵害を許せば、いずれこのような事態になりかねません。そして、民主主義が機能しなくなってからではもう遅いのです。
そのために、侵害を水際で食い止めなければなりません。
今回最高裁が前述したような踏み込んだ判断をしたのも、プライバシー権がこのような重要な権利であるからにほかならないと思います。

なお、今後のあり方として「みんなのプライバシーを多少犠牲にしてでも治安が良くなる方がいい」という考え方になっていくこともあると思います。街中に監視カメラ(正しくは「防犯」カメラ)が多数設置されるようになってきましたよね。
このように、みんなの合意で(=法律等の制定によって)プライバシーと治安のバランスを考えていくというのは健全な議論だと思います。
ただし今回の事件ではそうではなく、国(捜査機関)が勝手に、ひそかにプライバシー権を侵害していたことが問題となっていたのです。

最高裁が判決で述べたように、本来これは法律で解決すべき問題なのです。