過失とは? 法律的な意味、故意との違いなどについて

法律上「過失」とはどのような意味なのか。

民法上の損害賠償責任(民法709条の不法行為責任など)や、刑法上の犯罪(刑法210条の過失致死罪など)において、「過失」という要件が問題になることがあります。
一般的に、過失とは「ある事実を不注意により認識しなかったこと」というように、不注意や過ちという意味で使われますが、法律的にはもう少し厳密な概念として扱われています。

今回は、「過失」の法律的な意味について、概要を説明します。

過失とは注意義務違反のこと

法律的な意味での過失とは、一言でいえば注意義務違反(注意すべきであったのにそれを怠ったこと)のことです。
これをもう少し掘り下げていうと、事故などの結果を予測(予見)し、それを回避することをいいます。

交通事故の例でいうと、例えば見通しの悪い交差点を通る場合には、

  • このまま走行していたら横から急に自動車が出てきた場合に衝突してしまうということを予見し、
  • そのような場合に備えて、徐行して左右をよく見るなどして衝突を回避する

という注意義務があります。
これを怠りそのまま走行して本当に事故になってしまった場合には、注意義務違反つまり過失が認定されるわけです。

どのような場合にどのような注意義務があるのかは、実際に起こった事故の場面に即して具体的に判断されます。
そのうえで、行為者が注意義務に違反したかどうか、つまり過失があるかどうかが判断されることになります。

また、注意義務の程度は、その立場にいる平均的な人(交通事故の例なら普通の運転者、医療事故の例なら普通の医師)を基準に判断されます。

 

過失の判断枠組み 予見可能性・結果回避可能性

過失がある場合に民事上または刑事上のペナルティを受けるのは、必要な注意をしていれば事故などの結果は発生しなかったのに、それを怠ったからです。
逆にいうと、仮に必要な注意をしていても結果を防げなかったような場合には過失がない(無過失)とされます。

前述のとおり、過失とは、結果を予見して回避するという注意義務を怠った場合をいいますので、その前提として予見や回避か可能であること(予見可能性および結果回避可能性)が必要です。

予見可能性または結果回避可能性がない場合には無過失とされます。

予見可能性がない場合

予見可能性がない場合とは、通常は予測できないような事故の場合です。

例えば交差点での事故の例でいえば、見通しの悪い交差点を通る場合には、横から急に車が突っ込んでくることは予見可能(予見すべき)とされます。
横から車が来るかもしれないことを予見せずに漫然と通行して事故を起こした場合、過失ありとされます(当然ですが相手方も過失ありとなります)。

しかし、これが信号機のある交差点で、横から赤信号無視の車が突っ込んできたような場合には、通常はそこまでは予見不可能(予見する必要がない)とされます。

したがって、この場合には衝突して相手にけがを負わせたとしても、こちらは無過失となります。

結果回避可能性がない場合

結果回避可能性がない場合とは、事故を予見して回避措置をとったとしても事故を回避することができない場合です。

前述の見通しの悪い交差点の例でいうと、回避措置とは「交差点の前で徐行して左右の安全を確認しながら、横からの飛び出しに備えて走行する」ということになるでしょう。
横から車が来るかもしれないことを予見したとしても、事故を回避することをせずにそのまま通行して事故に至れば過失ありとなります。

しかし、横から飛び出してきた車が、例えば狭い道を時速100キロで走行してきたような場合は話が別です。
この場合、こちらが仮に徐行して交差点に入ったとしても衝突は避けられないでしょう。

このように、仮に適切な回避措置をとったとしても事故の結果を回避できない場合には、結果回避可能性がないとして無過失になります。

民事事件と刑事事件の違い

以上の枠組みは、民事(損害賠償義務があるかどうか)でも刑事(犯罪が成立するかどうか)でも基本的には同じです。
(説明の仕方は少し変わりますが、過失の認定に当たって考慮される要素はほぼ同じです)

ただし、刑事事件においてはその判断が厳格になり、過失ありとされるためのハードルは民事事件よりも高くなります。

 

重過失とは

法律上、単なる過失ではなく重過失を要求される場面があります。
(重過失でないと損害賠償義務が認められない(民事)、重過失でないと犯罪が成立しない(刑事)など)

重過失とは、前記の注意義務違反の程度が甚だしい状態のことです。
具体的には、わずかの注意をすれば容易に結果を予見し回避することができたのにこれを漫然と見過ごしたというような状態です。
故意に近い状態ですが、結果の発生を認容していない点で故意とは異なります(詳しくは後述)。

交通事故の例でいえば、酒酔い運転や大幅な(概ね時速30キロメートル以上)制限速度オーバーで事故を起こしたような場合です。失火の例でいえばガソリンを扱う場面でタバコに火を点けるなど。
「その場面・その状態でそんなことをすれば事故になることは簡単にわかるだろう」といえるような状態です。

 

過失相殺とは

民事上の損害賠償責任の場合には、過失相殺という考え方があります(民法418条、722条2項)。
被害者にも過失がある場合には、それぞれの過失の割合を考慮して、被害者の割合分の損害賠償額が減額されます。

なお、刑事事件においては過失相殺という考え方はありません。
(確かに、被害者の過失が大きい場合にはそれが量刑に考慮されることはありますが、「過失割合に応じて懲役や罰金が何割か減る」ということにはなりません。)

 

故意との違い

前記で重過失は故意に近い状態だと説明しましたが、それでは(重)過失と故意の違いは何でしょうか。

それは、結果が発生することを認容しているかどうかです。
ここでの認容とは「事故などの結果が発生しても構わない」という心理状態をいいいます。

仮に非常に危険な行為をしていて「事故が起きるかもしれない」とは思っていても、「事故が起きて構わない」と思っていなければ(重)過失にとどまります。

殺人の例でいうと、ある行為をする際に「相手が死ぬかもしれないがそれでもよいと思っていた」という状態なら故意(殺人罪)、「死ぬかもしれないとは思ったが死んでよいとまでは思っていない」という状態なら過失((重)過失致死罪)ということになります。

※なお、故意のうち上記のように「死ぬかもしれない」と認識していた場合を「未必の故意」といいます。「確実に死ぬだろう」と認識していた場合は「確定的故意」といい、単に「故意」といったら通常はこちらを指します。

ちなみに、訴訟において「死んでもよいとは思っていなかった」と言い張りさえすれば故意ではなく過失になるのか、というとそんなことはありません。
現実の訴訟では、本人がどのような事実を認識していたかという主観的な事情のほか、どのような事実を認識可能であったかといった客観的な事情をもとに判断されます。

本人が否認していれば故意ではなく過失になる、ということはなく,、例えば「ナイフを胸に突き刺すことは認識している以上、少なくとも死んでもよいとは思っていたはずだ」というように故意が認定されます。