売買契約に向けて続けてきた交渉を一方が突然理由なく破棄した場合、破棄された側は相手に何らかの責任を追及することができるか。
確かに契約がまだ成立していない以上、契約責任は発生していません。
もっとも判例では、契約関係にない当事者間においても一定の場合には信義則に基づく責任が生じる場合があるとされています。
これは「契約締結上の過失」理論といわれる考え方であり、判例でも認められています。
問題点
一度契約が成立した後であれば当事者はそれに拘束されるため、一方が理由なく契約関係を解消することはできません。
一方、契約が成立する前の段階では、当然ですが契約の拘束力はありません。
最終的に契約をするかどうかは当事者の自由ですから、交渉を打ち切って契約をやめたとしても問題ない、というのが法律上の原則です。
しかしながら、交渉が具体的に煮詰まっていく中で、契約成立に向けて一方がそのための費用を支出するなどの状況で、他方がそれを知りながら理由なく交渉を破棄したような場合には、契約が成立しなかったとしても何らかの損害賠償が認められるべきではないか、というのが問題点です。
信義則上の責任による損害賠償
この問題のリーディングケースといえるのが最高裁1984年(昭和59年)9月18日判決です。
分譲マンションの購入を希望していた歯科医が、売主業者との交渉の中で、歯科医院を経営するための電気容量が不足している点などを指摘し、売主業者が設計変更などを行った後に、資金的な問題から購入を取りやめたという事案です。
最高裁は、歯科医に信義則上の注意義務違反があったとして、売主業者による損害賠償請求を認めました(請求を認めた二審判決を維持)。
その後の多くの裁判例でも、同様の事案で損害賠償が認められています。
「契約締結上の過失」理論
前記判決のような考え方を「契約締結上の過失」理論といいます。
※もともとこの考え方は、一方の過失により無効な契約(存在しない物の売買契約など)を締結してしまった場合を念頭に提唱されたものなので「契約締結上の過失」という名前が付いていますが、今では他の場合にも適用範囲が拡張されています。
前記のような事例では、契約は成立していないし契約締結義務というものがあるわけではないので、本来は何らかの義務違反が発生する余地はないはずです。
しかしながら、契約成立を信頼して出費などをした当事者の信頼を保護するため、一定の場合には、信義則上、相手方は誠実に交渉する義務(誠実交渉義務)を負うとされています。
なお、上記のとおり契約成立に向けた信頼を保護するという趣旨ですので、損害賠償の範囲は、その契約が有効に成立するものと信じたことによって生じた損害(契約成立に向けて支出した費用など。信頼利益といいます)に限られます。